義父が 遺してくれたもの

日記

義父との別れ

10月に入り オットの父が亡くなった

93歳だった

昨年から入退院を繰り返し 

今年の夏には かなり体力が落ちていた

それでも8月にお見舞いに行った時には

病室で 高校野球の決勝を見ていた

9月末に いよいよ危ないかもとの連絡を受け

すぐに会いに向かった

午前中 その時にはもう 苦しそうな呼吸をしているだけだった

呼びかけには わずかに反応するような

そして 午後 急変の連絡を受け 再度向かった時には

静かな呼吸に変わっていた

義父がキューピッド

当時の適齢期を わずかに過ぎようとしていたわたしは

友人に 「誰かいい人がいたら紹介してね」と冗談混じりで頼んでいた

同じく義父も やはり当時の適齢期を過ぎた「息子に誰か 紹介してくれないかね?」と

わたしの友人に頼んでいたらしい

わたしの友人はある企業の受付嬢 義父はその企業の取引先

受付でよく雑談をしていたらしく 

』友人の取り持ちで私たちは出会った

それは 渋谷のとある場所で

友人とわたし

義父と主人 

4人で待ち合わせをして ご挨拶とともに

友人と 義父は帰って行った

いわば 義父は私たち夫婦の キューピットなのだ

通夜の前

お通夜の前に

義母や義妹(その夫は海外赴任で不在)孫5人とひ孫3人ほか孫配偶者たち

で義実家へ集合して これからの事 義父の思い出 いろいろ話をしていた

そんななか ひ孫たちのご機嫌を取るために

実写版「ライオンキング」を義妹がかけてくれたが

いつの間にやら 大人たちが夢中になっていた

悲しい空間のはずなのに とてもなごやかな空間

あっという間に お通夜の時間になり

斎場へ移動して

そこでも さらに親戚が加わり

わいわいと 時折涙が出たりはするけれど

基本 みんな義父をめぐる思い出や 近況を語り合い

ひ孫たちを囲んで笑顔になっていたり

義父がもたらしてくれた とても温かい時間だった

葬儀にあたり 感じたこと

今年に入っての

わたしの体の不調は

わたし自身 基本前向きに過ごしてはいるけれど

時折やはり 重く受け止めてしまうことがあった

自分の余命を 考えてしまったり 身の回りの整理をしてみたり

でも 義父の葬儀を見ていて思った

今回 93歳の人生を全うして亡くなった 義父を前に

時折涙ぐむことはあっても みんな

悲しみに暮れるというよりは 

「今まで本当にありがとう そして このメンバーに出会わせてくれてありがとう」

という感謝でいっぱいだった

それは この年齢まで 一生懸命生きてくれたからこそだと思う

今 わたしがこの世を去ったら

まだみんな 笑顔では送れないだろうなと…

そう思った時

わたしが今するべきことは 先のことを思い煩うことではなく

今 少しでも健康に生きること

今 大切に生きること

今 繋がりに感謝すること

義父が教えてくれた気がします

葬儀の後 部屋に一人になった義母が 落ち込んではいないかと

気になっていた時 ラインが届き

二世帯同居をしている義妹家の孫と

夜は 二人でバレーボールで大層盛り上がっていたよとの報が

遠く離れた場所に住む 私たち長男夫婦にとって

一緒に住んでくれている 義妹一家には感謝してもしきれず

いつも温かく迎えてくれる 大切な存在で

いただいたご縁を大切に これからも 日々を過ごしていきます 

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