天職だと思っていた 仕事を辞める決意

持病と仕事

足の不調を感じ始めてから薄々感じてはいた

そう長くは働けないであろうことは

でもそれを感じたのはあくまで

今年に入ってからのこと

入社した頃は 65歳までは働く気満々でいた

病状の進行

昨年 夏を過ぎた頃から 足の不調は急速に進んだ

歩行に杖が必要になった

歩いても歩いても 進まない気がする 痛みはないんです

から始まった病院通い 昨春のこと

整形外科から紹介された神経内科で 半年ほどの検査の結果「痙性対麻痺」と告げられた

それが昨秋のこと

症状は そこからも進行し

とにかく通勤が怖かった

通勤途上はバリアだらけ

自宅マンションは階段

自宅から駅までの道は 片傾斜の上 凸凹して足を取られる

駅は狭い上にホームドアがなく 転落が怖い

通勤電車はたとえ優先席であっても 基本座れない

会社最寄り駅から会社までの道もやはり片傾斜な上に凹凸あり

そして 行き交う自転車 避けるとよろける

会社のエントランスもやはり階段 そして手すりがない

会社内も 絨緞敷きでつまづきやすい

1日中 転倒の恐怖と緊張感でいっぱいだった

とうとう通勤労災

その日もゆっくり道を選びながら歩いていた

前からくる人たちを避けるように 一歩一歩

それがほんのわずかな溝に足を取られて

気づいた時には転倒していた

転倒すると 自力では起き上がれない

通りがかった方々が起こしてくださり(その節はありがとうございました)

夫に電話をして迎えに来てもらった(立ったまま待つこと30分弱😭)

病院へ行くと左足の甲の部分を骨折していた(中足骨というらしい)

最後通告だと思った

今年に入って 

雪の日が怖かった(雪だから行けません なんて言えない😓)

それ以前に 雨の日も 通勤経路の歩道も通勤電車も 何もかも少しずつ怖くなっていた

いつまで働けるのか?

頭をよぎる日々だった

家族からは 早く辞めるようにと常々言われていた

けれど せっかく出会えた職場

仕事内容にも 仕事のメンバーにも恵まれて 天職だと思っていた

それでも どんなに頑張っても 年内いっぱいが限度かなとは 薄々勘づいていた

なかなか決心がつかなかった

退職の意向を伝えた

経過観察の通院

ある日 左足を固定していたシーネが外された

わたしの足はすっかり生まれたての子鹿のようになっていた

足元が心許ない

ましてや元々麻痺した足

ますますしっかり立てない

今後この足で 通勤できる気がしない

経過の報告をする電話で 退職の意思を伝えた

このタイミングを逃したら 

わたしはまた 恐怖を感じながらの通勤を続けることになる 

と思ったからだ

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